足首を捻挫した。

 勝手口から台所にあるほんのちょっとの段差につま先をひっかけて転んだとき、変に足を着いてしまったらしい。ひとりでは立ち上がることもできなくて、ちょうど朝食を済ませたばかりの原田くんに抱え起こしてもらって医務室へ行った。朝食時の食堂はそれなりに混雑していて、大勢の隊士にみっともない姿を見られて恥ずかしかった。

 普段は太刀傷を見ることの多い医師は、赤く腫れた足首を見下ろして温かく笑いながら、湿布を張って固定用の包帯を巻いてくれた。

「捻挫を診るのは久しぶりですけれど、一週間もすれば良くなりますよ。とりあえず、今日は一日安静にしていてくださいね」

 そう言われて仕方なく、この日の仕事を全て人に任せて離れの私室に戻った。せめて誰も見ていないところで負った怪我なら、足首の包帯くらい隠して無理に働けないこともなかったけれど、食堂にいた隊士全員に原田に介抱されて医務室に運ばれるところを見られてしまっているから、それを誤魔化すのはもう難しい。

 部屋でひとり、包帯を巻いた足を崩して座って、途方に暮れた。唐突に降ってわいた休日に、何をしていいか分からなかった。

 立ち歩けないだけで両手は使えるわけだから針仕事はできるので、ボタンが取れたり、刀傷を負って裂けたり穴が開いたりした隊服と裁縫道具を持ってきてみたけれど、補修テープが切れていた。買い出しに行ってこなければと思っていたのにすっかり忘れていた。予備のボタンも数が足りない。ひとまずあるだけのボタンは付け替えてみたけれど、あっという間にできることがなくなった。裁縫道具を片付けて、破れたままの隊服をたたんで部屋の隅に積み上げる。

 さて、どうしたものだろう。こんなに手持無沙汰な休日は初めてだ。

 いつもなら、休日とはいえやることはいくらでもある。台所仕事は毎日のことだし、この広い屯所の掃除はいくらやっても終わりがない。数十名いる隊士達の洗濯物は毎日大量に出る。そういうことがひと段落したら、買い出しついでにお金回りの悪い友人が達者でやっているか、様子を見に行ったりもできる。

 なんだかんだと、毎日やることはあるものだ。それをどうこう思ったことはなかったのだけれど、それを全て取り上げられてしまった途端に自分の中の大きな空白に気が付いてやけに不安な気持ちになった。

 こういう時、世の中の人は何をしているんだろう。テレビでも見るか、友人と長電話でもするのか、それとも本でも読むのだろうか。けれど、ここにはテレビも電話もないし、本でも読もうかと、机の上に重ねている料理本をぱらぱらとめくってみるけれど、今、台所に立てるわけでもないのでレシピを読んでもちっとも頭に入らなくてすぐに嫌になってしまう。

 本当に、何にも、することがない。

 井戸の底から水が湧くように、悲しい気持ちがしんしんと湧いてきて鼻の奥がつんとした。

 誰かのために何もできない自分は、なんて役立たずでしょうもなくてみじめなんだろう。

 料理をして掃除をして裁縫をして、誰かの世話を焼いていられるのは良い。そこにいる意味があるし、役に立っている実感もある。けれどしょせん、自己満足だったのだ。何の特技も趣味もない自分に目隠しをしたかっただけで、何もない自分を見て見ぬふりしてきただけなのだ。どうせお前なぞ取るに足らない人間だ、お前がいなくなったって誰も困りはしないのだ。耳元で悪魔が囁いている。

 足首が痛い。

 と、その時、戸口のガラス戸を叩く音がした。

、いるか?」
「あ、はい! どうぞ」

 慌てて目元を拭って、姿勢を正す。立ち上がろうとして足が痛んで、そうだ、今日は一日安静にしていなければならなかったのだと思い出す。

「おぉ。足捻ったって?」

 立ち上がりかけて失敗し、四つん這いになって痛みに肩を震わせていると、戸口に立った土方さんの呆れた声がした。

「何をやってんだよ?」
「……す、すいません……」

 どうにか体制を戻して、座り直す。あぁ、みっともない、恥ずかしい。
 土方さんは土間に足を下ろしたまま上がり框に腰を下ろして、顔だけをこちらに向けた。

「大丈夫か?」
「はい、まぁ、今日は一日は安静にしてなくちゃいけないんですけど」
「そうか。まぁ、たまにはゆっくり休めていいんじゃねぇの」

 そう言って煙草を吹かしながら、土方さんは背中を丸めてブーツを脱いだ。

 何をしに来たんだろう。昨日から屯所には戻っていなかったし、今朝の食堂でも姿は見かけなかった。腰に刀を差したままの隊服姿で、屯所に帰ってすぐ、自分の部屋に戻らずに直接ここへ来たように見える。土方さんの手には、大きな白いビニール袋がぶら下がっていた。

「ここで飯食っていいか? 夜勤明けなんだよ」
「それじゃ、お茶でも入れましょうか?」
「いいよ。怪我人なんだから座っとけ」

 ビニール袋の中からは、コンビニで買ったと思われる丼弁当とマヨネーズ、それから鮭と梅干しとおかかと高菜とツナマヨのおむすび、何種類かのゼリーとヨーグルト、ペットボトルのお茶と缶コーヒーが出てきた。いくらなんでも、土方さんひとりで食べるには多すぎる。

「こんなに買ってきたんですか?」
「飯まだなら、お前も好きなもん食えよ」
「もしかして私のお見舞いに?」
「勘違いすんな。今キャンペーンやってて、シールを集めるとマヨリーンのフィギュアが当たるんだよ。お前も協力しろ」

 どこまで本気で言っているのか分からなかったが、そこまで言われては仕方がない、梅干しのおにぎりをひとつもらうことにする。けれど、土方さんがマヨネーズを山盛りにした丼をかっこんでいる間にどうにかおにぎりをひとつ食べるのがやっとだった。今日はちっとも体を動かしていないから、全くお腹が減っていなかった。

 飲みなれないペットボトルのお茶を飲んでいると、また嫌な虚しさが背後から襲ってきた。本当なら、夜勤明けで疲れた土方さんにコンビニでおつかいなんかさせないで、きちんとした食事と温かいお茶を用意してあげたかった。それが私の仕事だし、土方さんのために、私がしてあげることのできる全てでもある。

 刀を取り上げられた侍は、もしかしたらこんな気分になるのだろうか。土方さんのために何もできない自分は、厄介なお荷物のようにしか思えなかった。

 丼を空にした土方さんは、缶コーヒーを開けながら一服している。お腹が満たされて落ち着いたらしく随分気の抜けた顔をしていて、この部屋の主よりもずっとくつろいでいる風なのが、なんだかおかしかった。

「今日は、もうお仕事はないんですか?」
「あぁ、明日の朝まで休み」
「それじゃ、お部屋に戻ってゆっくりなさってください。夜勤だったなら眠いでしょ」

 と、土方さんが咥え煙草をしたまま目を細めて私を睨んだ。疲れて少し充血した目は迫力があって、少し怯んでしまう。

「な、なんですか?」
「お前こそなんだよその言い草は?」
「別に、その方が休まるんじゃないかと思っただけですよ。今日は私何にもしてあげられないんだし……」
「何もってなんだよ?」
「だから、土方さんの身の回りのこととか……」
「そんなこと気にしてんの? お前」

 そんなこと、と言われてカチンときた。毎日毎日、私が身を粉にして働いていることをなんだと思っているのだ。それは全て真選組のためにしていることで、何より私の仕事が土方さんのためになればと思ってしていることなのに、そっちこそのそんな言い草はないではないか。

 土方さんは携帯灰皿で煙草の火を消すと、怒りで言葉を失った私を無視して、上着を脱いでスカーフを外した。

「別にガキじゃねぇんだから、そのくらい自分でやるって」
「そ! それじゃ、私が毎日していることは、無駄だって言いたいんですか……?」
「んなこと言ってねぇだろ。ただ、無理して俺の世話焼く必要ねぇって言ってんだよ、怪我してんだろ?」
「それじゃ、私はなんのために、いつも土方さんのそばにいるの……?」

 ぽろりとこぼれてしまった言葉は、思った以上に儚く弱々しくて、自分がいかにショックを受けて落ち込んでいるのかを思い知らされた。

 つまり私は、自信がないのだ。

 炊事、掃除、洗濯、自分に与えられた仕事をきちんとこなせなければ、私はこの真選組屯所にいる価値がない。攘夷浪士を斬り捨てることもできない非力な女だ。家事を担うだけなら代わりの人間はいくらでもいる。そういう立場に自分はいると思っている。だからこそ、休日もほとんど返上して働いて、その勤勉さだけは代えがたい価値と思ってもらえるように努めないと、いつこの職を失ってもおかしくはないとどこかで思っている。

 土方さんに自分を必要だと思ってほしくてあれやこれやと世話を焼いてきたけれど、それは全て、土方さんには何の意味もなかったということだろうか、そんな空しいことってあるだろうか。

 なんだかもう泣きたくなってきて、奥歯を噛みしめて必死に耐えた。何もないところで転んで足をくじいて、みんなに迷惑をかけて心配をかけて、その上、土方さんの前でこれ以上みっともない姿をさらしたくなかった。

 と、その時、土方さんは何にも言わずに、私の膝頭を掴むと、そこにごろりと頭を横たえた。

「え、ちょっと」

 突然のことに度肝を抜かれて体を固くした私を見上げて、土方さんはだるそうに呟いた。

「悪ぃけど、少し寝かせてくれ。疲れてんだよ」
「だったら、やっぱり部屋に戻ってちゃんと休んだ方が……」
「腹いっぱいで動きたくねぇ」

 土方さんは私の手を掴んで胸の上で握りしめると、しっかりと目を閉じた。その顔色から、どうやら本気で眠くてしょうがないらしいことが感じ取れて、せめて声を落として恨み節をこぼす。

「食べてすぐ横になると豚さんになっちゃいますよ?」
「うるせぇ」

 土方さんの手が、威嚇するように私の手を強く握った。
 それから時を置かずして、土方さんの呼吸に合わせて上下する胸の動きが静かに一定のリズムを刻み始めた。空いている方の手で、土方さんの前髪をそっとかき上げて額を撫でてみるけれど、びくともしない。

「……おやすみ三秒」

 思わず笑いながら呟いた言葉は、土方さんの耳には届かず空中に散った。

 ちゃぶ台の上に散らばっているおむすびやゼリーを見やる。ビニール袋の中にシールを集める台紙が折れ曲がって入っていて、マヨリーンのフィギュアを手に入れるために土方さんが躍起になっているというのはどうやら冗談ではないようだけれど、それでも、夜勤明けに私を見舞うために、こんなにいろいろなものをコンビニで買いあさってくれた姿を想像すると、胸の奥が温かくなった。きっと、私の好みのおむすびの具が分からなくてこんなにたくさんの種類を手あたり次第にかごにつっこんでしまったのだろう。どうしてゼリーやヨーグルトを私が好きだと思ったのだろうか、私はどちらかというとプリンの方が好きだからちょっと惜しい。

 着替えもせず、シャワーも浴びず、お腹もすいていただろうしくたくたに疲れてひどく眠かっただろうに、土方さんは屯所に戻って一番に私に会いに来てくれた。それが分からないほど、私は鈍くも馬鹿でもない。

 土方さんの穏やかな寝顔を見下ろして、私はこみ上げてくるものを必死に飲み込んだ。

 疲れ切った体を休める場所は私の膝の上がいいと、土方さんは思ってくれたのではないかと推測するのは、虫が良すぎるだろうか。

 見返りを求めて土方の身の回りの世話を焼いてきたつもりはない。それが私の仕事だし、その見返りなら給料という形で毎月きちんといただいている。

 けれど、報われたような気がした。

 土方さんには、幸せでいて欲しい。そしてその幸せの中に、私の居場所がほんの少しでもあるなら、それはなんて嬉しいことだろう。

 今、自分の膝の上にある土方の寝顔を見下ろしていると、口元が緩むのを抑えきれなかった。


 私の幸せは、今ここにあるすべてだ。






起きたらたくさんいちゃいちゃしてください。




20170925