あぁ、見られてる。背中に刺さる視線が痛い。痛い、というよりは熱く纏わり付くようなそれ。
藍色の布地に白い糸で刺した麻の葉の模様を指でなぞりながら、
はこの場に座っていられないほど窮屈で居心地悪い思いを、ため息にすることもできずに途方に暮れていた。
土方は布団に横になっていて、その額と腕と足にはぐるぐると包帯が巻かれている。医者が言うには、当分の間は絶対安静にしていなければならないらしい。とはいえ、こんなことはよくあることだ。その看病をするのも、
には珍しいことでもないし、ましてや苦でさえない。何せ、こんな怪我でもしなければ土方はゆっくり体を休めることもできないほど多忙な身で、
とふたりきりでゆっくり過ごす暇もない。文字通り怪我の功名と言えるわけだ。
けれど、日がな一日横になって安静にしている以外することのない土方は、ここ最近ずっとこんな調子だ。絡みつくような目で
を見る。まるで獲物が罠にかかるのをじっと待っている狩人のようで、目の前に甘い餌を差し出された
は理性と感情の間でゆらゆら揺れていた。
土方がひどい怪我を負った日、土方を介抱したのは
だった。これも屯所では日常茶飯事と言ってよいほどよくあることではあった。だから、あの日に限ってどうしてあんなことになったのかは今もよく分からない。
あの日、土方はとても疲弊していて、斬った相手のものではない血で隊服を染めていた。まだ体力は残っているようで、自力で立って歩き誰の力も借りずに救護室へ行くことができたけれど、一刻も早く手当てをしたほうが良さそうだということは、素人目にも明らかだった。
助けを呼びに行こうと駆け出そうとする
の帯を、土方はぐいと掴んで引っ張った。経験したことのないほど強い力を感じた
は足を絡ませて転びそうになったけれど、一体なにがどうなったのか、気がついた時には救護室の天井が見えていた。
血に濡れたまま
に覆い被さった土方は、力尽くで
の胸元を開き、膝を割った。土方が腰に差していた刀が床を転がって、土方が脱ぎ捨てた血染めの隊服が投げ飛ばされる。土方は腕からどくどくと出血しているのに目もくれず、
の喉元に熱い舌を這わせて無我夢中で
を抱こうとした。
も無我夢中だった。あの時、
は何も考えていなかった。ただ、するべきことをした。それは間違っていなかったと思っているし、後悔はしていない。
は渾身の力を振り絞って土方の肩を押し返し、その頬を平手で打ったのだ。
あんな大怪我をして、手当てもせずにどうしてそんな気を起こすのか、信じられなかった。土方の考えていることがこれほどまでに分からないなんてと、
は絶望にも似た気持ちを覚えた。その日、
は土方を突き放すようにしてそばを離れ、なにひとつ言葉をかけてやることもできなかった。
土方は見かけどおり乱暴なところがある。強引だし、頭の中で考えていることのほんの一部分しか言葉にしないのだろうなということは、この長い付き合いで学んできたつもりだ。それで困らないことがなかったわけではないし、むしろそのせいで驚かされてばかりいるような気はする。けれどそんなところもひっくるめて、
は土方を許してきたつもりだった。
とはいえ、ひどい怪我をしているというのに本能の赴くまま力尽くで
を組み敷くだなんて、そんなことをされて腹を立てるなという方が無理だ。
は土方の体を案じたからこそ手を上げてまで土方を拒んだのだ。だというのに、あの時の土方の物欲しそうな目といったら。
これを一体何に例えたらいいだろう。怒りにも似た、熱い衝動。理性も吹き飛ばすほどの勢い。瞳の奥で何かが爛々と輝いているのが見えた。あれはなんだったのだろう。ただ、
を求めているというだけではまるで言葉が足りなくて、
の体の向こうに、何か別のものを見ているような目だった。
時には優しくいたわりのある言葉をかけてくれる唇からこぼれてくるのは全力疾走した時のように激しい吐息で、今までに一度も聞いたことのない音を立てていた。土方に掴まれた手首に今までついたことのない青あざが残った。強く吸われた首に真っ赤な花がいくつも咲いた。
ひとつも気持ちの通わないまま体に残された痕は、いつにも増して消えるのが遅い。
「……悪かった」
多少なり罪悪感を覚えているからこそ、土方の口からそんな言葉も溢れるのだろう。けれど、それとは裏腹に、土方の手は
の背中から身八つ口を通って胸元をまさぐった。
「安静にしていなさいって言われたでしょう?」
は身をよじって抵抗したけれど、うまく体に力が入らなかった。
土方の視線は熱い。それは
の身体中に纏わり付いて、鎖のように体を縛り付けてしまったようだった。土方の指先が胸の硬い部分に触れると、腰の辺りから体が砕けてしまいそうに感じて
眩暈がした。
安静にしていなくちゃ駄目なのに、下手に動いて傷が開いたら困るのに。あの時、
の理性が振り上げた手のひらは、刺し子を施した藍色の布地にしがみつくばかりで全く頼りない。
「悪いな」
うなじに唇を押し付けながらそう言われて、まっすぐ背を伸ばしていられなくなってしまう。土方は一体どんな悪いことをしている気でいてそんなことを言うのだろう。前かがみに倒れこみそうになった
を、土方は胸を掴んだ手だけで支えた。
傷口が軋んだ音がしたて、
はますます土方を拒めなくなってしまった。下手に抵抗して、土方の怪我を悪化させたくなかった。
土方はお預けを食っているのだと思っていた。食らわせてやったと思っていた。土方の体を慮って、頬を打って戒めてやったのだと思っていた。どうやらそれは
の思い違いだったらしい。
理性では止めなくちゃと分かっている。分かってはいるのだ。けれど、体がもう言うことをきかなかった。
「だめです。やめ、てください」
き、の字に体を曲げて、
はわずかに残った理性で抵抗を試みた。けれど、土方の吐息が首筋にかかる。着物の下で土方の手が動くのが間近に見える。硬くなった部分が熱くて下着に擦れて痛い。体にのしかかって来る土方の体の重み。ずっと寝たきりでいたせいで、体からすえた汗の匂いがする。
本当は逆だった。お預けを食っていたのは
の方だった。何かに取り憑かれたように狂った目をした土方に力尽くでめちゃくちゃにして欲しかった。ふたりで汗と血にまみれて、夜が明けるまで体を絡み合わせてみたかった。ぞっとした。土方の体を心配している、だなんていい子ぶって、いざとなったら体の奥底から湧き上がってくる欲求に手も足も出なかった。
「
」
土方は
の耳を唇で咥え込むようにして名前を呼ぶ。胸元から着崩れた着物を見下ろして、
は体を震わせた。
「お前を抱きたい」
はしがみつくように握りしめていた針の刺さったままの藍色の布地を、渾身の力を振り絞って手放した。
20160811
お粗末さまでした。