春 の 宵 






季節がめぐり春が近づくと、どんな人の心も浮き立つ。真選組では、屯所で桜が咲いたら花見の季節、という例年の慣習があって、庭の桜の蕾の膨らみ具合を確認しては、毎年幹事を押し付けられている山崎がばたばたと準備に奔走するのが、真選組の春の風物詩だ。

屯所の桜が一輪花開いた日。座敷のふすまを大きく開け放って、庭にも蓙を敷き、花見の酒宴をすることになった。そもそも花より団子を地で行く隊士達なので、桜よりも酒と肴に夢中ではあったものの、普段は忙しく江戸の平和を守っている隊士達は、気持ちのいい春の宵に楽しげに酒を酌み交わしていた。

は、酒とつまみを台所から運び込んでは隊士達に酌をして回っている。家政婦として働いているには、屯所で酒宴が開かれる日は料理の下ごしらえや酒の手配や後片付けまで含めて、休む暇もない一日仕事だった。

「おぉ! ちゃん! ご苦労さん!」

空いた皿と空になったビール瓶を盆にのせて運んでいたは、酒に顔を赤らめた近藤に声をかけられ、微笑みを浮かべて会釈した。

「近藤さん」

ちゃんもこっちに来て一緒に飲まないか?」

「ありがとうございます。でも、これ片付けちゃわないと」

「それじゃぁ、ひと段落したら来てくれよ。みんな待ってるからな」

「えぇ。すぐに来ますね」

近藤のそばには、沖田や山崎が集まっていた。いつもなら当然その輪の中にいるはずの土方の姿が見えず、は無意識にその姿を探してきょろきょろと視線をさまよわせた。

「そういえば、土方さんは?」

山崎がチーたらをぶらぶらさせながら答えた。

「まだ仕事してるみたいですよ。雑務が片付かないみたいで」

「あら、そうなの」

「そもそもそういう仕事をさせるために小姓がついたんじゃなかったんでぇ?」

沖田がお猪口を傾けながら、庭の方に目をやった。その先で、佐々木鉄之助が隊士達と一緒に浴びるように酒を飲んで妙ちきりんな踊りを踊っていた。

「鉄はそういう仕事向いてないでしょ」

「トシは完璧主義だからな。何もかも自分でやらなきゃ気がすまないんだろ」

「せっかく皆で楽しんでるのに、ひとりだけお仕事じゃかわいそうですね」

がそう言うと、近藤は「それもそうだなぁ」と言ってあご髭を撫でた。

「おぉい! 鉄! ちょっとこっち来い!」

近藤が大声で呼ぶと、鉄之助はすっくと姿勢を正して駆け寄ってきた。ずいぶん酔っているようだけれど、まだ意識ははっきりしているらしい。

「はい! 何でしょうか、局長!」

「悪いが、ちょっとトシの様子を見てきちゃくれねぇか? せっかくの花見なんだから、こっちに来るように誘ってこい」

「分かりました! 任せてください!」

鉄之助はぴっと敬礼をして、足早に屯所の奥に消えていった。

「土方さんが鉄の言うこと聞きますかねぇ?」

と、沖田がこぼすと、近藤が笑って答えた。

「仕事がひと段落してればな」

土方が酒宴を欠席する、ということは、これまでにもなかったことではない。仕事があるというのも理由の一つだけれど、若手の隊士達に遠慮しているということもある。何しろ鬼の副長と恐れられている身なので、酒の席でくらいは自由に振る舞わせてやろうという土方の心遣いがあるようなのだけれど、実際は、隊士達みんなが土方を慕っているので、こういう時こそ立場を超えて気の置けない話ができればいいのにと、近藤や沖田は思ったり思わなかったりしている。とはいえ、土方の仕事をフォローできるほど優秀な人材がいないという点は、真選組にとってひとつの問題点ではあった。

が食器と酒瓶を片付けて、追加の酒と肴を持って戻ってくると、近藤や山崎に囲まれて鉄之助がぐったりと肩を落としていた。

「どうかしたんですか?」

近藤が鉄之助の肩を叩きながら笑って答えた。

「トシに追い返されたんだとさ」

「まぁ」

「すいません! 皆で飲みませんかって誘ったんですけど、副長、やっぱり仕事から手が離せないみたいで……!」

「鉄がそんなに落ち込むことないよ。あの人の仕事に対する情熱の方が異常なんだって」

山崎がそう言うと、沖田がにやりと笑って言った。

「山崎が誘ったら来るんじゃねぇのか?」

「えぇ!? 俺ですか!? なんで!?」

「おぉ、そうだな! 行ってこい山崎!」

「局長まで! 嫌ですよ俺! 副長に仕事押し付けられるの目に見えてるじゃないですか!?」

「それはそれでいいんじゃねぇ?」

山崎は泣く泣く席を立って、土方の部屋へ向かった。

確かに、山崎は何かと土方から顎で使われているので、このまま山崎が戻ってこないということは十分ありそうなことだ。

が台所に立って、揚げ物と追加の酒を持って戻ってくると、ぐったりした山崎が床に伸びていた。

「山崎くん、大丈夫?」

その肩を叩きながらが労わると、山崎は泣きそうな顔をして痛々しく笑った。

「あぁ、さん。やっぱり予想通りでしたよ」

「仕事、押し付けられたの?」

「えぇ。大量の資料押し付けられました。まぁ、調査は明日からなんですけど、もう今から気が重くって」

「そう。大変なのね」

「そう言ってくれるのはさんだけですよ……!」

山崎は今にも泣きださんばかりにそう言うので、はしばらく山崎に付き添って酌をしてやった。山崎はいつもこういう役回りで、どんなに立派な仕事をしても最後には損をすることが多いらしい。監察方の仕事がどんなものなのかは、には想像することしかできなかったけれど、酒が入っているせいもあって山崎があまりに悲しげに愚痴をこぼすので、はすっかり同情してしまう。

そんな2人の様子を見た近藤が、意を決して立ち上がった。

「よし! 仕方がない! 俺が行ってこよう!」

「大丈夫ですか? 近藤さん?」

「あぁ! 任せておけ! いい加減トシも疲れてる頃だろうからな!」

近藤は意気揚々と土方の部屋へ向かった。

その間に、山崎がすっかり悪酔いしてしまったので、は山崎を部屋へ送り届けることにした。時間は宴もたけなわといった頃合だ。まだここで飲み続ける人もいるだろうし、かぶき町に繰り出していく人もいるだろう。はこれから宴会場を片付けて、台所仕事をしなければならない。頭の中で仕事の優先順位を整理しながら縁側を歩いていると、ちょうど近藤の姿が見えた。手持ちぶさたな様子で、苦笑いしている。

「やっぱり、土方さんはいらっしゃらないんですか?」

近藤は苦笑いをして、後ろ頭をかきながら答えた。

「あぁ。すっかりやり込められちまったよ。やっぱりトシには適わんな」

「あらまぁ」

「でも、俺が不甲斐ないばっかりにトシがあぁいう仕事をしてくれてるんだと思うとな、俺もあまりでかい口は叩けないよ」

近藤は腕組みをして、しみじみと庭を見下ろした。

「けど、せっかくの花見なのになぁ」

真選組屯所の庭は、度重なる派手な喧嘩やバズーカの発砲が原因でいつも荒れている。ごくたまに造園屋が手入れをしにやってくるのだけれど、その手も追いつかないほどに毎日隊士の誰かが騒ぎを起こして庭を荒らしてしまうので、造園屋も空いた穴を埋めて雑草を抜くくらいの手入れしかしないのだ。

その庭の片隅に、数々の災厄からなんとか生き延びている桜の木がある。何度か流れ弾があたって枝が折れたり、火の粉が飛んで幹が焦げたりしたせいで、枝ぶりは弱々しく、年々花開く桜も数が減っていた。春の象徴としてはとても弱々しい桜の木だけれど、この桜の開花を合図に、毎年の屯所の花見が企画されるのだ。

真選組は年がら年中お祭り騒ぎをしているようなものだけれど、年に一度の花見は特別な意味があるらしい。近藤の穏やかな眼差しからそれを感じ取って、はぽろりと口にした。

「私が、声をかけてみましょうか?」

がそう言うと、近藤はそれは名案とばかりにぽんと手を打った。

「おぉ! ちゃんが説得してくれたらトシも折れるかもしれんな! よろしく頼むよ!」

近藤は「俺、『すまいる』で飲んでるから! トシによろしく伝えてくれ!」と言って、隊士を何人か引き連れてかぶき町へ繰り出していった。

は酒瓶を台所に片付けてから、土方の部屋に向かった。宴会場から離れてしまえば、春の夜は風の音が響くだけでとても静かだ。土方の部屋にだけ灯りがともっていて、は縁側に膝をついて障子の向こうに声をかけた。

「失礼します、土方さん? いらっしゃいますか?」

「今度はなんだ?」

不機嫌そうな声が帰ってきて、はほんの少し気後れした。鉄之助、山崎、近藤と立て続けに訪問を受けて、土方はすっかり気分を害しているらしい。

障子を引くと、土方は咥え煙草をして、文机に重なった書類束をめくっていた。

「あちらにはいらっしゃらないんですか?」

「これ片付かねぇからな」

「せっかくみんな揃ってるんですから、顔だけでも出してくださればいいのに」

「俺がいない方が、あいつら羽伸ばせていいんじゃねぇの?」

「そんなことないですよ。みんな待ってますよ」

「これ片付いたらな」

同じことをもう一度言って、土方は煙草の煙を吐いた。

土方の言うことは本心だろう。けれど、仕事が早く片付けはそれに越したことはないだろうし、仲間達と酒を酌み交わして馬鹿騒ぎをしたくないわけではないだろうし、鉄之助や山崎や近藤に声をかけられて鬱陶しく思ったかもしれないけれど、誰にも声をかけられずに放っておかれるよりはずっとありがたかったことだろう。

ふいに、土方はちらりとを見やって、つまらなさそうに目を細めた。

「向こうで飲んでたのか?」

「あら、分かります?」

「顔見りゃぁな」

そう言われて、は頬に手を当ててみた。確かに、ほんの少し酒に酔って頬が熱くなっている。どのくらい赤くなっているのかは分からないけれど、土方に見咎められるほどではあるのだろう。

土方は自嘲気味に笑って言った。

「俺なんか気にしねぇで、向こうで楽しくやってりゃいいんだぜ?」

はつんと唇を尖らせた。自分が仕事をしている間に、は楽しく酒を飲んでいたと思われているのなら、心外だった。宴会に全く参加していなかったわけではないけれど、酒を飲むよりも給仕の仕事に追われていたので、土方の言うことは全くの見当違いだ。

は、わざとらしくにこりと微笑んで言った。

「あら、土方さんがひとりで寂しがってるんじゃないかと思って、私心配してたんですよ?」

土方は煙草の煙に咽せた。

「べっ、別に寂しがってなんかねぇよ!」

「そうですか? それじゃぁ、私はお仕事の邪魔みたいですから、戻りますね」

「邪魔だなんて言ってねぇだろうが!」

そう言ってしまってから、土方は気まずそうに口をへの字に結んだ。

その顔があんまり情けなかったので、は堪えきれずにぷっと吹き出した。土方をからかうのは本当に簡単で、まずが負けるということはないので、こういう時はつい、いたずら心に火がついてしまう。くすくすと笑うを横目に、土方は悔しそうにぐしゃぐしゃと髪をかき上げると、書類束をばさりと音を立てて閉じた。

「それで、どうするんですか? 顔出されるんですか?」

「いや、もう宴もたけなわだろ。こっちで飲む」

「近藤さんが『すまいる』で待ってるって言ってましたよ」

「外に出んのは面倒臭ぇよ」

「じゃぁ、こちらに熱燗でもお持ちしますね」

「おう」

は一度その場を離れて台所へ戻った。湯を沸かして熱燗の準備をし、残り物のつまみをいくつか皿に盛り付ける。

それを持って土方の部屋に戻ると、土方の姿がなかった。宴会に顔を出しに行ったのだろうか。



思いがけない方向から声がして振り向くと、庭先から土方が現れた。何やら棒のようなものを手に持って、つま先につっかけた下駄を縁側に脱ぎ捨てた。

「土方さん、それ」

土方が持っていたのは、ついさっきまで近藤の目を楽しませていた桜の枝だった。屯所の庭で弱々しく生きていた、花を咲かせる力もほとんど残っていないような桜が、枝ごとぽっきりと折られてしまっている。

「どうしたんですか?」

「あの桜、もう駄目そうだからな」

「だからってわざわざ折ってこなくても」

「今度、根元から切ることになったんだよ」

土方は畳にどかりと座り込むと、桜の枝を横たえた。

「そうなんですか?」

「あぁ。この前に造園屋が来た時にな、そう言ってた」

「せっかくこれからいい季節なのに」

「どうも、だいぶ弱ってるらしい。まぁ、何回爆破させられたか分かんねぇし、これまで燃えずに残ってたのが奇跡だ。どのみち切られちまうんだから、今日折ったって同じだろ」

は桜の枝を手にとって、花開いたばかりの桜を見つめた。蕾は硬く閉じたまま、折られた枝の上でじっと息を潜めている。これからやってくる本格的な春を待って、すでに死んだ樹のことも知らずほころぶ時を待っている蕾は、ただ儚かった。

「えぇ、そうですね」

はしみじみと目を細めて頷いた。

「お前も飲めよ」

土方はそう言って、つまみにマヨネーズを絞り、お猪口を2つ並べて手酌で酒をついだ。冷たい風がひやりと頬を撫でる。もう春だとはいえ、夜はまだ冷える。はありがたく、土方が差し出したお猪口を受け取った。

「本当に、『すまいる』には行かないんですか?」

土方はお猪口に口をつけて、しばらく考え込んでから答えた。

「キャバ嬢に貢ぎまくって素寒貧になった近藤さんのお守りさせられんのはちょっとな」

「まぁ」

はくすくすと喉を鳴らして笑った。土方はその笑い声に耳を澄ませるように首を傾げて、ほんの少しだけ口角を上げて笑った

春は短い。やってきたと思ったら、あっという間に過ぎ去っていく。真選組屯所にやってきた春はあまりに小さく、たった一夜でその枝を折られてしまったけれど、真選組らしい、春の訪れだった。





20150323(素材提供|まったりほんぽ