目が覚めると、明かりの消えたシーリングライトが暗闇に浮かんでいるのが見えた。
あぁ、またか。

憂鬱なため息を吐いて、私はベッドに深く体を沈める。

子どもの頃から、寝つきが悪くて寝覚めも悪い。ベッドに入っても眠りに落ちるまでが途方もなく長くて、待てども待てどもやってこない眠気を求めてひたすらじっと目をつむることしかできない不自由にいらいらするのが毎夜の習慣だった。やっと眠れたと思ってもほんの数時間で目が覚めてしまい、そこから朝まで眠れないということも珍しくはない。

こんな夜は決まって、悲しい思い出や恥ずかしい失敗、惨めで寂しくて、胸を掻きむしりたくなるような嫌な思い出が次から次へと頭の中に浮かんでは消える。私はこの時間が大嫌いだ。

近頃ようやく朝まで連続して眠れるようになってきたと思ったのに。

私は寝返りを打って、隣で眠っている渋沢さんの方に手を伸ばした。あの大きくて広い肩がすぐそばにあるはずだ。けれど、伸ばした手はシーツの上をどこまでもどこまでもすべるばかりで、渋沢さんの肩どころか腕にも頭にもたどり着かない。

目を開けると、ベッドの片側はもぬけの殻だった。



渋沢さんは、間接照明だけを灯したリビングで本を読んでいた。濃いブルーに白いストライプ模様のパジャマ、後ろ髪に少しだけ寝癖がついている。

「あれ、どうしたの?」
「目が覚めちゃって。そしたら、隣にいないから」

渋沢さんは申し訳なさそうに目尻を下げた

「ごめん、驚かせたね」
「ううん。いいの」
「お茶、飲む?」
「うん」

テーブルの上に、湯のみと保温瓶が置いてある。ふたを開けると、優しい香りのお茶がふんわりと湯気を上げた。そば茶だ。

「どうぞ」
「ありがとう」
「俺もなんだか眠れなかったから、本でも読もうかと思ってさ」

渋沢さんは膝の上で本をぺらぺらとめくった。スポーツ医学の専門書で、細かい字がぎゅうぎゅうに詰め込まれた紙面には、挿絵のひとつもない。眠気を誘うには絶好の本と言ってよさそうだ。

私は温かいそば茶をすする。

「ねぇ、もしかして私、うるさかった?」
「え?」

私は眠るのが下手で、寝つきが悪く、寝起きも悪い。つまり眠りが浅いということで、そういう人は寝言や歯ぎしりをすることが多いのだそうだ。

昔、家族に、「お前は寝言がうるさい」と笑われたことがある。眠っている間に自分が何を言ったのかは分からないけれど、それをからかわれたことがたまらなく恥ずかしかった。できることなら、もう二度と寝言を言わないようにしたかったけれど、意識のない自分を思い通りにコントロールできるわけがない。また笑われるのが嫌で嫌で、夜がくるのがたまらなく不安だった。私の眠りに対する嫌悪感はあの経験から生まれたものだ。

「もしかして、寝言のこと?」

渋沢さんが笑いを噛み殺しながらそう言って、私はみるみる頬が熱くなった。やっぱり、寝言を言う癖はまだ治っていなかったのだ。

「ごめんなさい。子どもの頃からずっとで、なんとかしたいと思ってたんだけど、どうしていいか分からなくてずっとそのままにしてて、あの、もし本当に気になるんなら、寝るところ別にする? 私、客間に移ってもいいし」

あたふたする私を、渋沢さんが優しく諫めた。

「そこまで気にするほどのことじゃないよ。落ち着いて」
「だって」

渋沢さんはプロのサッカー選手で、体が大切な仕事道具だ。私のくだらない寝言なんかで眠りを妨げられてパフォーマンスが落ちたりしたら? そんなことになるくらいなら、潔くベッドを別にした方がいいに決まっている。

「かわいい寝言ばっかりだったよ」

私の気も知らず、渋沢さんはにっこりと言った。

「え?」
「むにゃむにゃって、何言ってるのかは分からなかったけど、幸せそうな顔してたよ」
「……本当にうるさくなかった?」
「本当。全然、気にしてないよ」

渋沢さんは本を閉じてテーブルに置くと、おいでと言って私の肩に腕を回す。ベッドの中で探し求めた広い肩にやっとたどり着いて、思わずほっと溜息がこぼれた。

渋沢さんの体はほかほかと温かい。体温が高いだけではなく、ほわんと体全部を包み込むようなまろやかな温かさだ。まるで太陽に温められた綿雲のベットに寝転んで、雲の毛布に体を包まれているようだ。ここにいればもう何の不安もないと無条件に信じられるような、揺るぎない安心感。

目の奥の方がとろりと溶けて、待ち望んだ眠気がやっと近くまでやってきてくれたことを知る。

「そろそろベッドに戻ろうか」

見計らったように、渋沢さんがそう言う。

私は眠気を逃がさないよう、渋沢さんのパジャマの裾をぎゅっと掴んだまま立ち上がった。

「歩きにくいよ」

と、渋沢さんは笑うと、私の膝の裏に手を入れて持ち上げ、ベッドまで運んでくれた。

最近になって、朝までゆっくりねむれるようになったのは、もしかすると渋沢さんのおかげなのかもしれない。私は渋沢さんがいないと安心して眠ることができないのだ。

「ありがとう」

眠気に意識を引っ張られながら、私はかろうじてその言葉を絞り出した。








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20210322(拍手再録)