僕の話をしよう。





さよなら 三角





彼女と初めて会ったのは、高等部に入学してすぐのことだった。ホームルームが終わって、さて部活に行こうとグランドに出た時、誠二が彼女の手を引いて現れたのだ。

「竹巳! 紹介するよ、これ、ちゃん!」

誠二がどういうつもりで彼女を僕に紹介したのか、今となっては分からないけれど、おそらく深い意味はなかったと思う。誠二と彼女は中等部時代からの知り合いだったために、たまたま昇降口で顔を合わせたから、誠二の思いつきで部活に連れてきたらしかった。いい迷惑だったことだろう。

「こんにちは」

彼女は困ったように眉をハの字に曲げてぺこりと頭を下げた。前に落ちかかった髪を耳にかける仕草が、かわいかった。

「はじめまして、笠井です。誠二に無理やり連れて来られたの?」

「無理矢理だなんて人聞き悪いな!」

「だってそうでしょ? 手、離してあげたら?」

「……できれば、そうしてもらうと助かるんだけどな……?」

彼女が遠慮がちに言うと、誠二は「あ、そう?」と言って、あっさり繋いでいた手を離した。

手加減を知らない子どもがまだ人に慣れていないハムスターとかモルモットとか、そんな小動物を感情に任せて触りまくって、過度なストレスを与えている。ふたりにはそんな風情が見え隠れした。仲が悪いわけではないのだろうけれど、お互いの間にほんの少しのずれがある。

まさか、そのずれを埋めるのが自分の役目になろうとは、この時の僕には考えもつかないことだった。




▲▽▲▽




それから彼女は時々、部の練習を見にやってきた。サッカーコートはぐるりとフェンスに囲まれていて、そこにはいつも不特定多数のギャラリーがいる。彼女がそこにいると、僕は必ず気がついた。きっと誠二に会いに来たのだろうなと思ったので、

さん、見に来てるよ」

と、誠二に耳打ちすると、

「嘘!? どこに!?」

と、誠二は大げさな仕草でフェンスの向こうを探した。僕が教えてやるまで気がつかなかったんだ、とは、ちょっと嫌味な気がして言わなかった。

誠二は彼女を見つけると、離れ離れになっていた飼い主をやっとの思いで見つけて、嬉しさのあまりにちぎれんばかりに尻尾を振る大型犬のような風情で大きく手を振った。彼女は困ったように笑って、小さく手を振り返した。

彼女を先に見つけたのは僕なのに。決して口にはせずにそう思う。




▲▽▲▽




誠二はきっと、彼女のことを好きなのだと思う。何かにつけ名前を出して噂にするし、かわいいねとか、恥ずかしげもなく口にするし、誠二の行動を見ていると疑う余地はどこにもなかった。

自分の出る幕はないなと思った。誠二を相手にして、僕が敵うわけがないじゃないか。




▲▽▲▽




何の因果か、僕と誠二と彼女とで遊園地にいったことがある。確か、貴重な休日をいかに有効に使うか、というような話をしていて、誠二が「竹巳とちゃんと遊園地に行きたい!」と言いだしたのだ。

「なんで俺もいっしょなの?」

貴重な休日だというなら、ふたりでデートすればいいのに。

ちゃんはガード硬いから、初めて遊ぶときは2人より3人の方がいいと思うんだよね」

と、誠二は平気な顔で言った。つまり、僕をだしに使おうってわけだ。そんなのはまっぴらごめんだったので、なんとか理由をつけて断ろうとしたのだけれど、誠二は持ち前の強引さで日取りと時間と待ち合わせ場所をさくさく決めてしまった。

結論から言えば、楽しい休日になった。

彼女はたえず自然な笑顔で笑っていて、誠二の強引さにも上手に付き合ってやっているように見えた。まるで散歩中にはしゃぐ大型犬を優しく見守る飼い主のように。

「笠井くんって、中等部の頃から藤代くんと仲がいいの?」

「そうだね、同じサッカー部だから、寮も一緒だし」

昼時に腰を落ち着けたフードコートで、ふたりで話をすることができた。誠二は、注文したハンバーガーのソースを手と上着にこぼしてしまい、「ちょっと洗ってくる!」と手洗いに行っている最中だった。

ちゃんも、中等部の頃からの付き合い?」

「うん、そう」

彼女はオレンジジュースとチーズバーガーを食べている。食べるスピードがひどくゆっくりで、チーズバーガーはなかなか小さくならない。

「正直、2人に接点があるようには思えないんだけどさ、どこで知り合ったの?」

「声かけられて、友達になったんだよ」

なんだ、ただのナンパだったのか。肩の力が抜けて苦笑いしてしまう。

「いい迷惑だったんじゃない? あんな騒々しいのにからまれてさ」

彼女はいつものように、困った顔でたははと笑った。

「そんなことないよ、藤代くん、面白いし。一緒にいると元気になるよね」

「そう? 僕はたまに疲れる」

「でも、仲良しだよね。一緒に遊園地に来るくらいだもん」

「……まぁね」

君を遊園地に誘うためのだしにされたんだよ、とは、まさか言う気にもならない。そういう役割を納得してここに来たのだ。だから誠二との打ち合わせどおり、準備しておいた質問を投げかけた。

ちゃんって、誠二のことどう思ってる?」

「どうって?」

「いや、ちょっとした興味なんだけど」

「いい友達だと思ってるけど」

「男としてはどう?」

「うぅん、そうだなぁ」

彼女はオレンジジュースを飲みながらじっと考え込んだ。彼女の目が、答えに迷って悩んで、眉が困ったようにハの字になった。

「いい人だとは思うけど、そういう風にちゃんと考えたことないや」

「そっか。ごめんね、変なこと聞いて」

彼女は笑って肩をすくめてみせた。その時の僕には、彼女の笑顔の意味は分からなかった。

1日の最後に、誠二と彼女は観覧車に乗ったけれど、僕は高いところは苦手だからと言って辞退した。もちろん誠二と口裏を合わせた嘘だ。昨日の夜からばっちり打ち合わせ済みだった。

彼女は疑うこともなく、「笠井くんが乗れないなら、やめにしない?」と僕を気遣ってくれたけれど、ここでその意見を採用したら、遊園地に来た意味がなくなってしまうので、僕は無理やり彼女の背を押して観覧車の小さなかごに押し込んだ。

ベンチに座って、ゆっくりと円を描く観覧車を見上げながら、僕はこの1日で腹の中にたまったもやもやをため息にして吐き出した。僕だって、好きこのんでこんな役割を演じているわけじゃない。けれど、誠二と張り合って僕が適うわけがないのだ。

誠二の企みがうまくいけばいいと思っている。けれど、彼女はいつも困ったような笑い方をする。彼女が一体何に困っているのか、僕はそれを知りたいと思った。

観覧車から降りてきた彼女は笑顔だったけれど、やっぱりどこか困っているように見えた。彼女の笑顔の裏に何か隠れていやしないか目を凝らしてみたけれど、彼女の隣にいない以上は一辺の影さえ見つけることはできなかった。




▲▽▲▽




隣の部屋の窓が開く音がして、続いて何かがどさりと地面に落ちる音がした。

あぁ、またかと、つまらない数学の宿題に向かいながら思う。隣の部屋の誠二が部屋を抜け出したのだ。

誠二はほんの少し悪いことをするのがうまい。学習時間に寮を抜け出したり、朝練のランニングに遅刻しても素知らぬ顔で合流できたりする。

誠二のまねをして中西が寮を抜け出そうとしたら、あっさり寮監の先生に見つかって大目玉を食らったことがあった。誠二はいとも簡単にやってのけているように見えるけれど、凡人には分からないコツのようなものがあるらしい。

さて、今日は一体何をするつもりなのか。他人事を決め込んで宿題を進めていると、窓ガラスにコツンと何かが当たる音がした。

犯人はもちろん、誠二だった。

「竹巳! ちょっと今出てこれない?」

誠二は子どもみたいに目をきらきらさせて、今にも走り出さんばかりに足踏みをしている。開けた窓からそれを見下ろして、僕は少しげんなりした。

「もうすぐ就寝時間だろ? どうしたっていうの?」

ちゃんと待ち合わせしたんだ。竹巳も来いよ!」

「はぁ?」

なぜ就寝時間の直前に彼女と待ち合わせなんかしたのか、そこになぜ僕が同行しなけりゃならないのか、誠二の言葉は一切の説明が省かれていて、まったくもって無責任だった。僕の背中で、中西が不審そうにこちらを振り返る。誠二の顔を認めると、「なんだお前か」と言いたげにげんなりとした顔をした。

「なんなの? 一体」

「いいから急げって! ちゃんもう待ってるから!」

誠二が服の袖を掴んでぐいと引っ張るので、僕は仕方がなく窓の桟に片足を引っ掛けた。振り返ると、中西は「なんかおごれよ」と嫌味に笑った。まぁ、それくらいはしょうがない。腹を括ろう。

誠二は庭木をつたって器用に寮の壁を乗り越えて敷地の外に出た。僕も見よう見まねで同じように後を追う。黒っぽいジャージを着ていてよかったなと思う。たまにすれ違う車にもし学園の教師が乗っていたらと思うとひやひやしたけれど、誠二はこれっぽっちも動揺していないみたいで、学校の廊下を歩くような風情でひょうひょうと道の真ん中を歩いていく。

「見つかったらどうすんだよ?」

と、僕が不安を口にすると、

「え? 見つかったことないから分かんない!」

と、誠二は笑顔で答えた。ちょっと、いらっとした。

誠二は女子寮の裏手に着くと、平気な顔をして塀をよじ登った。誰かが通りがかったらどうするつもりなんだか。僕はきょろきょろと辺りを見回しながら、誠二の足元に立ち尽くす。

「竹巳はここで待ってて!」

誠二はそう言って、塀の向こうに姿を消した。

それからどのくらい経っただろう。体感では1時間くらい経ったような気がするけれど、たぶん3分くらいなもんだったと思う。再び誠二が塀の向こうから顔を覗かせて、下から何かを引っ張り上げたかと思うと、彼女の顔がひょっこりと現れた。

「あ、笠井くんだ」

彼女は笑っていた。なんだかとても、うきうきとしたいい顔をして。

「……どーも」

「竹巳! 手ぇ貸して!」

彼女が塀を降りるのに、その手のひらをぎゅっと握り締めた。彼女の小さな手は、緊張しているのか少し強ばっているような気がしたけれど、彼女の笑顔を間近に見たらそんなこと吹っ飛んでしまった。

「ありがとう、笠井くん」

「俺は誠二に付き合わされただけだよ」

「そうなの?」

「そうだよ」

「ほらほら。ぼやぼやしてないで行くよー」

誠二の呑気な声が僕の背中を押す。彼女の手が僕の手を離れると、その小さな手は誠二の手の中に収まった。僕の胸が小さくきしんだ音は、きっと2人には聞こえなかっただろう。

誠二が足を向けたのは、住宅街の真ん中にある小さな公園だった。遊具はすべりだい台しかない。大きな木がすべり台に覆いかぶさるように葉を茂らせていて、街灯らしいものもなく暗くて不気味な公園だった。まぁ、身を隠すにはうってつけと言っていいだろう。

「ちょっと待ってて!」

誠二は僕らを置いて、近くのコンビニに駆けていった。店に入ると、店員に姿を見られてしまうので、外の自動販売機で飲み物を買っている。

遠目にその姿を眺めながら、僕はベンチに座って乱れた息を整える彼女の隣に座った。何だか、少しいらいらしていた。

「全く、バレたらどうするつもりなんだか」

彼女は乱れた息のまま笑った。

「でも、藤代くんは一度もバレたことないって言ってたよ?」

「誠二ひとりなら、でしょ? 女子寮の方大丈夫なの?」

「うん。同室の子に頼んできた。代わりにピノおごってあげることになったけどね」

「あぁ、俺も何かおごんなきゃなんないんだった。どうしよかっな」

「じゃぁ、一緒にピノ買いに行く?」

「いや、どっかでコーラでも買うよ」

彼女は何が面白かったのか、声を上げてけらけら笑った。今日は随分と笑いの沸点が低いらしい。彼女は目尻に浮いた涙を拭って、肩を震わせた。

「あぁ、楽しい。私、こんなに楽しいの初めてかも」

彼女はきっと、本心からその言葉を口にしたのだろう。そんなことは考えなくても分かった。彼女の笑顔からは、きらきらと鱗粉のような光がこぼれ落ちている。きっとその光は誠二が与えたものなのだろう。

僕はそれが面白くなかった。

「……誠二に誘われたからって、無理に付き合ってやることないと思うよ?」

「え?」

「寮を抜け出すなんて、バレたら大変だよ。もしそうなったら困るのはちゃんだし、誠二が責任とってくれるわけでもないんだしさ。っていうか、誠二のこういうところはホント、どうかしてるよ。わざわざそれに付き合ってやることないと思う」

彼女はじっと僕の声に耳を傾けている。どんな顔をしているかは分からない。なぜか、彼女の目を見て話すことはどうしてもできなかった。

彼女の優しい声音が、僕の耳をくすぐった。

「あのね、今日は、藤代くんに付き合ってきたわけじゃないんだよ?」

「え?」

「私が頼んだの。藤代くんが寮を抜け出したときの話をしてくれてね、楽しそうだったから、私もやってみたいなって言ってみたの。そしたらいいよって、藤代くんが」

「……そうなの?」

「そう。だから、藤代くんのこと責めないであげてね」

彼女は今日初めて、いつもの困り顔をした。僕はショックだった。彼女を困らせるのはいつも誠二だと思っていたのに、今日は僕が彼女を困らせた。


それから、誠二が買ってきたジュースを3人で飲みながらたわいもない話をしたけれど、どんなことを話したのかはまるで覚えていない。ここへ来た時と逆のルートをたどって、彼女を女子寮に送り届けてから、誠二と寮に帰った。中西が鍵を開けておいてくれた窓から部屋に入り込み、真っ暗な中パジャマに着替えてベッドに潜り込む。けれど、妙に目が冴えてしまってなかなか眠ることができず、何度も寝返りを打ってはとりとめのないことを考えていたら、不意に襲ってきたのは罪悪感だった。

彼女はあんなにも楽しそうに笑っていたのに、どうして水を差すようなことを言ってしまったのだろう。きっと気分を悪くしたに違いない。しかも、誠二の悪口まで彼女に吹き込んでしまった。誠二は確かに面倒な奴だけれど、根っから悪い奴というわけではないし、そういう誠二を嫌いだなんて思ったことは一度もない。

なのに、自分の気分に任せて、あんなことを言ってしまった後悔で胸が潰れそうだった。結局、その夜はほとんど眠れなかった。

次の日の朝、寮の食堂で誠二の隣に座った。先延ばしにすると言いにくくなるだろうと思ったので、両手を合わせる前に開口一番に謝った。

「昨日はごめんな」

誠二は真剣な顔で、ポテトサラダに入っているにんじんを避けていたけれど、僕の声はちゃんと聞こえていたらしく、疑問符を浮かべて目を丸くした。

「竹巳、おはよう! ごめんって何が?」

「別に、気にすんな。こっちの話」

両手を合わせていただきますを言う僕を、誠二は不思議そうな顔で見ていたけれど、やがて諦めたのかにんじんの除去作業に戻った。




▲▽▲▽




それから、誠二は彼女と何度かデートをしたらしい。3人でどこかへ出掛けることは二度となかった。それだけ誠二が彼女に対して本気だということだろう。彼女とのことを話す誠二はとても楽しそうだったし、ときたま廊下ですれ違って挨拶を交わす彼女もとても楽しそうだった。誠二との関係は、彼女にとってとても良いものであるらしい。その笑顔を見ればすぐに分かった。

彼女はもう、困った顔で笑うことはなかった。それなら、いいじゃないか。僕の片思いは実らなくたって。

僕は彼女のことを好きだったけれど、恋敵だからって誠二のことを嫌いになったわけじゃない。誠二のことも好きだ。友人として、チームメイトとして、中等部からの腐れ縁として。誠二はいい人間だ。僕はそれを知っている。だから、別にいいんだ。

ちゃんと付き合うことになったから!」

誠二が彼女と手をつないで、それを律儀に報告してきたとき、僕は素直な気持ちでこう言った。

「そうなると思ってたよ」




▲▽▲▽




僕の秘密の三角関係の話は、これでおしまい。




20150720




(企画「HONEY&SALT」参加作品)